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電車内のエントロピー

同人誌版「日常想像研究所」(2012年5月発行)をKindle化しました!
 
   nichijo_sozo_lab
   Kindle版「日常想像研究所」
 
本記事「電車内のエントロピー」は、そのKindle版から一部抜粋して再構成したものです。
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Kindle版には、本記事の他に6本+αのコラムを収録しています。
 
同人誌版の第2巻にあたる「日常想像研究所 Vol.2」は、第二回文学フリマ大阪第十九回文学フリマにて頒布開始の予定です。こちらも合わせてよろしくお願いします。

鉄道で旅をするのが好きだ。

鉄道好きの人はたくさんいるけれど、私の場合は、ただひたすら鉄道で全国各地を巡るのが好きという、分類上はいわゆる「乗り鉄」である。

――思い起こせば2003年春、私は唐突にJRの全路線に乗ろうと思い立って、いわゆる「JR全線乗りつぶし」を始めた。それからというもの、時間を持て余す大学生の特権を生かして、全国各地の路線を西へ東へ駆け巡った。ある時は鈍行列車を乗り継いで四国から稚内まで一週間かけて走破してみたり、またある時は夜行列車に連泊してヘロヘロになったりもしながら、コツコツとJR線を乗りつぶしていったのだ。

そして、乗りつぶし開始から約7年が経過した2010年5月16日、草津線の柘植駅にて、ついにJR全線・約2万キロの完乗を達成したのであった――

と、それくらい鉄道に乗るのが好きである(ここまではただの余談である)。
 

そんな話を人にすると、決まって「電車に乗ってるときは何してるの?」と聞かれる。何をしているのかと言うと、ずっと車窓の風景を見て過ごしている。長時間乗車で暇だと感じることはほとんどなくて、車窓さえ見られれば、基本的に何時間でも電車に乗っていることができる。……そう、車窓さえ見られれば……。

恐ろしいことに、世の中には車窓が満足に見られない電車というものが存在する。それが、ロングシートの通勤電車である。

IMG_0145ロングシートの例

一般的に、車窓は進行方向に向かって座っている状態が一番見やすい(と思う)。そのため、横向きに座るロングシートは、そもそも車窓観賞には向いてないのだ。いわんや、人によって窓が遮られるラッシュ時はなおさらである。

しかし、いくら車窓が見られない(見にくい)とはいえ、必要に迫られて乗るのが通勤電車である。強制的に車窓が見られない環境にあっては、車窓以外に楽しみを見い出すしかない。

そんなポジティブな気持ちで車内を見渡わたしてみると、車窓ばかり見ていた時には気付かなかったものが、逆にいろいろと見えてきた。混雑した車内にいながら、パッと視界が360度開けたような、そんな感じの気付きである。ここからは、その話をしていきたい。

ロングシートの座席位置とエントロピー

まず気になったのが、「椅子の磨り減り方」である。

ロングシートの表面をよく観察すると、明らかに磨り減り方の激しい場所と、そうでない場所とがあることが分かる。これは当初、単なる確率的な使用頻度の差だと思われた(ちなみに、私はこの現象を「使用頻度差」と呼んで忌み嫌っている)。しかし、ロングシートの場合は、そんなに単純な話でもない気がするのだ。

ある日のこと、いつものように通勤電車に揺られていた私は、気になる光景を目にすることになる。

ロングシートの通勤型車両、席の埋まった車内。電車が駅に着くたび、ある人は席を立ち、またある人は入替わりで席に着く。そんな何気ない日常の中で、それは起こった。

電車が駅に到着し、ロングシートの端っこに座っていた人が下車しようと席を立ったその瞬間である。それまでシートの中ほどに座っていた人が、ズズズッと腰を浮かして、空いたばかりの端っこの席に移動したのである。なんと!

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……と、大げさに書いてはみたものの、こんなのはよくある光景である。しかし、この光景を何度も見ているうちに私は、だんだんとあることを想像するようになった。

「ひょっとしてロングシートには、『端っこに人を吸い寄せる力』があるんじゃないか?」と。

座席の端っこを取りたい気持ちは分からないでもない。真ん中に座ると両隣を人に挟まれる格好になるけれど、端っこに座っている限りは必ず片方にスペースが出来る。
しかし、そんなありきたりな理屈で考えるのは面白くない。この「端っこに移動する」現象を、もう少し別の概念で説明できないかと考えてみた。

いま、ロングシートの両端にいる人が席を立ったとする。すると席に残った人は、いま座っている位置から近い方の端っこへと向けて、ズズズッと席を移動するのが自然であろう。よって、ロングシートの座席には、シートの真ん中を境界として、その位置によって傾斜的に「端っこの席へと引き付ける力」が働いていると考えることはできないだろうか。

ここで、この端っこの席へと引き付ける力を、そのシート位置におけるエントロピーによって生じる力と考える。
エントロピーとは何ぞや、というのは厳密には説明しないけれど、要はそのシート位置の「安定度」だと考えれば良い。つまり、座席の中央部は不安定(エントロピーが低い)であり、そのためより安定な(エントロピーが高い)端っこの席へと乗客は移動していると考えるのである。

densha1ロングシートの座席位置とエントロピーの関係

これにより、シートの真ん中ら辺に座った人が端っこへと移動する様子が、感覚的に想像できるようにならないだろうか。
「嗚呼あの人は、より安定でエントロピーの高い座席に移動したんだなぁ」と。
これはつまり、「エントロピー増大の法則」に従っているものと考えることができる。

ドア付近の位置とエントロピー

また、ある日のことである。先の話と似たような現象を、今度は自分の身を以って体感することとなった。

それは、ほどよく座席の埋まった電車内でのこと。座るスペースはあるにはあるけれど、そんなに長時間乗るわけでもなし、窮屈な席に無理に座ることもなかろうと思った私は、ドア付近のスペースに立つことにした。このような場合、多くの人はドアのすぐ脇に陣取ると思う。しかしそのときの私は、なぜか両サイドのドアから一番離れた、ど真ん中の位置に立ってみようと思ったのである。

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一度同じことを試してみるとよく分かるので、是非とも自分で体験してみて欲しい。そのど真ん中の位置というのは、なんとも落ち着かないのである。よっぽど混雑していて、そこしか立つ場所がないならともかく、ドア側は空いているのに敢えて真ん中に立つのだ。私は妙に不安定な気分になって、そのうちズズズッと体をドア脇に移動させていた。

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これは、先ほどの「座席の端っこへと移動する」動きに近いものがある。
つまりドア付近の場所にも、エントロピーの高い場所と低い場所が存在していて、私たちは無意識のうちにエントロピーの高い位置を選んで立っていると考えることができるのである。

その様子を二次元的に表すと、ちょうどこんな具合だ。

densha2 ドア付近の位置とエントロピーの関係

電車全体のエントロピー分布

以上、2つの話を総合すると、ロングシートの電車内におけるエントロピーの分布を想像することができる。

つまり、座席や通路を含む電車内には、エントロピーの高い場所と低い場所がそれぞれ存在している。
ズズズッと腰を浮かして端っこの座席へ移動してしまうのも、端っこの方がエントロピーが高いから。ドア脇に立つのも、その位置の方が真ん中よりもエントロピーが高いから。

このように、エントロピーの分布を想像することによって、電車内にいる人々の位置が、何となく説得力を持って見えてこないだろうか。座席が端っこだけ極端に磨り減っているのも、エントロピーの高い端っこには人が集まりやすいから当然のことなのだ。

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ラッシュ時には、「ドア付近には立ち止まらないで下さい!」という駅員の怒鳴り声が聞こえてくることもある。
確かに、まだ乗る人がいるというのに、ドア付近の場所を必死に確保しようとする人もいる。
「邪魔だなぁ」と思うのは簡単だけど、「そこ、エントロピーが高いからなぁ」などと想像してみると、また少し違った世界が見えてくるのではないか。

つまらないと思ってることでも、案外自分の想像ひとつで、面白いことに変えられるのかもしれない。そんなことを感じた、通勤電車のひとコマであった。