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定礎観察入門

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「定礎」について考えたことがあるだろうか。ビルのエントランス部分などにある、石に刻まれたアレである。

「定礎」とは一体何なのか? 何のためにあるのか? というのは気になるところだけれど、私も詳しくは知らないので、その辺は別のサイトを見て頂きたい。

ここでは、そういう役に立ちそうな知識ではなくて、「定礎」という物体そのものが持つ様式的な面白さに迫っていきたい。

――とは言ったものの、実のところ私も定礎に関しては全くの初心者である。そもそも、定礎が面白いのかどうか、それすらもまだよく分かっていない。「何か定礎が面白そうだ」という気配を感じた段階であり、全てはこれからの話なのだ。

普段なら、ある程度理解が進んだ段階で「定礎のこんなところが面白いんですよ!」という記事を書きたいところだ。しかし、せっかく入門者という立場に立っているのだから、私が定礎に詳しくなっていく様子を書いてみるのも面白いんじゃないか、と思った。今回は、その入門編である。

そんなわけなので、これから私と一緒に「定礎」の世界へと足を踏み入れていきましょう。

■ 定礎を集める

定礎は、何食わぬ顔で我々の日常生活に溶け込んでいる。それゆえ、ほとんどの人は定礎を意識することはないし、「石に『定礎』っていう文字が書かれている」くらいの認識しかないだろう。

よって、まずはいろんな定礎を眺めてみることが必要であろうと考えた。

今回は最初ということで、「とりあえず定礎の写真を20枚集める」というのを目標にして、ビルが屹立するビジネス街をさまよってみることにした。

そうして集めた定礎が、これである(結果的に21個集まった)。

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ビルばかりの場所を歩いたので、20個くらい簡単に見つかるかと思いきや、探してみると意外と見つからない(1時間半かかった)。きっとこれは、定礎初心者がぶつかる最初の壁なのではないかと思った。

そんな定礎探索に関する諸問題について、まずは共有しておきたい。

■ どこに定礎があるか分からない

私は、なんとなく「定礎はビルのエントランスにある」というイメージがあったため、そういう部分を重点的に見るようにしていた。

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たしかに、ほとんどはビルのエントランスにある。しかし迂闊だったのは、大きなビルになるとエントランスがいっぱいあって、どこを見ればいいのかさっぱり分からないのだ。そのくせビルは巨大なため、周囲をぐるっと回るだけでも大変な労力なのである。

そして、苦労してビルの周囲を探索しても、必ずしも定礎があるとは限らないのであった。

■ 定礎の文字がよく見えない

定礎は石に刻まれており、それについては今回集めた21種類の定礎の中で例外は見つかっていない。しかし、石と言ってもいろいろあるのだ。そう、なんとか石とか、なんとか石とか……(石の名前は分からないので誤魔化した)。

その石の種類によっては、刻んであるんだかないんだか、さっぱり分からない場合がある。
例えば、こんな定礎。

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これは写真の撮り方が悪いのではなくて、肉眼で見てもあまり変わらない。石の模様の主張が強すぎて、掘った部分の影がよく見えず、結果として定礎があるのかないのか分かりづらくなっているのだ。

こういう定礎を、私は「ステルス定礎」と呼ぶことにした。

■ 定礎が隠されている

最後は、環境要因である。これらの定礎を見て欲しい。

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定礎の前に物が置かれたり、扉で隠れたり、植物が茂っていたりする。なので回り込んだり、かがんだりと、姿勢を変えないと定礎が見えないのだ。「定礎の前に物を置くなんてとんでもない!」と言いたいところだけど、そんな理屈は聞いたことがないので、まあ仕方がないのかなと思う。これに関しては注意深く探すほかない。

このタイプは「隠れ定礎」と呼ぶことにする。


さて、そんな苦難を乗り越えて集めた定礎。まだサンプル数が21個ということで、深い考察や分類はできないのだけれど、それでも観察してみて初めて気付くことがいくつかあった。

ここからは、定礎初心者の私なりに気になった点を見ていきたい。

■ 定礎石には分離型と一体型とがある

これは何かというと、「定礎」という文字が刻まれている石と壁材との関係である。

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上の写真の定礎は、壁材とは違う種類の石が壁に埋め込まれている(あるいは貼り付けられている)。

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一方で上の写真の定礎は、定礎の文字が壁に直接刻まれていることが分かるであろう。

前者を「定礎石分離型」、後者を「定礎石一体型」と呼ぶことにしたいと思う。

ちなみに今回収集した21種類のうち、分離型と一体型の比率は5:16となり、一体型(壁に直接刻まれている)の方が多数を占める結果となった。

私の中では、定礎というと「壁にプレートが埋め込まれている」というイメージがあったため、この気付きは意外なものであった(もちろんもっと数を集めないと分からないけれど)。

■ 「定礎」の文字は手書き

定礎の文字は、毛筆体で書かれているというイメージがある。そしてそれは、ほとんどの場合当たっているのだけれど、よくよく見るともっと別のことに気付いた。

きっかけは、この定礎である。

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「字が下手」なのだ。

前に、なんとか大臣が「○○省」の看板を手書きして、それが下手くそだと話題になったことがあるけれど、これも同種のものだと思われる。ビルのオーナが毛筆で書いた文字をそのまま石に刻んで、こんなことになったのだろう。

そういう目で定礎の文字を見てみると……

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同じ毛筆の「定礎」でも、どれも微妙に違っていて、個性があることに気付くだろう。こういうのはフォントを使ってるものだと勝手に思い込んでいたが、実は「誰かの手書き文字」なのであった。
どれをみても、全部違って、全部良い。

これは重要な観察ポイントになり得ることを確信した。

■ 年号部分の書き方

一方、定礎に付随する「年号」部分の文字はどうだろう。これは、「定礎」と違ってフォントだったり、そうでなかったりするようだ。

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西暦だとフォントで、

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和暦だと手書き、というのがパターンとしてある気がする。

そんでもって、この年号の書き方にも特徴があった。一番面白かったのは、この定礎。

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年号が縦書きになってるのは珍しい感じがするし、右は和暦で「昭和五年五月」、左は西暦で「紀元千九百三十年」と書かれている。何でこんな書き方をしてるのか分からないけれど、言い換えればこれくらい自由でいいのだ、定礎というやつは。

■ 「定礎」以外の定礎

「定礎」と書かれていない定礎もあった。

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上の写真は、その様子から明らかに定礎だと分かるのだけど、「定礎」とは書かれていない。定礎は、「定礎」と書かれていなくても、はっきりと定礎なのだ。人間の認知能力の高さに感心せざるを得ない。

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ところで、この定礎っぽいものには “Erbaut” と書かれており、それは何とドイツ語の「定礎」に当たる単語なのであった。

定礎初心者の私でも、英語の定礎があるのは知っていたが、よもやドイツ語の定礎があるとは思いもしなかった。もっとワールドワイドな視点を持たなければいけないなあ、と思った次第。

■ 最後に

以上、定礎観察の最初の一歩として、私が適当に定礎を観察をしてみて分かったことを書いてみた。
当初はなんてことのなかった定礎が、なんだかとっても面白いものに見えてこないだろうか?

分類が好きな私は、こんな風に何でも集めて分類して、しまいには勝手に名前を付けてしまう癖がある。

定礎を探しているときも、絶えず「この定礎は他の定礎と比べて何が違うか」というのを考えていて、定礎間の差分を抽出している。
そうして特徴的な差分が見つかると、それを手がかりにして分類が可能かどうかを考え、今ここに書いたようなテキストにして体系的にまとめていく。

分類の仕方は、最初のうちは曖昧な感じで構わない(上の文章も、きれいな分類にはなっていないと思う)。何しろ、今回は21個の定礎しか見ていないため、まだまだ出現していない定礎のパターンがあって然るべきなのである。その辺は、今後の観察を通じて適宜修正していけばよい。

肝心なのは、こうした勝手な分類を積み重ねることで、自分の中での「定礎像」が出来上がっていき、だんだんと定礎を見る目が変わってくる、ということである。

そして次第に、新しい定礎を探し出すということが、まだ見ぬ定礎への渇望へと変わっていく。定礎を見つけることに喜びを感じ、たまに突拍子もないものが見つかると、勝手に盛り上がって大喜びしたりする。なんてことはなかった定礎が、とても楽しい観察物に変わる瞬間である。

もう少し定礎に関する造詣が深まったら、続編を書こうと思っている。


余談。
ところで、何でいきなり定礎に興味を持ったかというと、最近作った「Web定礎」という、Twitter連動のウェブサービスがきっかけである。

「Web定礎」は、「誰でも簡単に定礎ができる」というのをモットーに、Twitterのタイムライン上に投稿日(定礎日)と自分のIDの入った定礎画像を投稿することができる。

何のことやらさっぱりだと思うが、私もさっぱりだし、さっぱりだけども良いサービスだと思うので、気になった方はぜひ使ってみて下さい。

Web定礎

ポストの向きと「そっぽポスト」について

ポストの向きって、気にしたことあるだろうか。
(※ここでは、ポストの向き=投函口を正面としたときの向きを指すことにする)

ここに、何の変哲もない路傍のポストがある。

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このポストの向きを観察してみよう。

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一目瞭然ではあるが、人が歩く方向(動線)に対して、垂直の向きにポストが設置されている。どの方向から来た人にも投函しやすい向きを考えると、このポストの向きは必然であると言える。

他のポストも見てみよう。例えば、次のポストは少し変な場所に設置されている。

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木の根元に生えるように立っていて、周りがやけに混雑しているポストである。しかし、このポストも例外ではない。

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先ほどのポストと同様に、ポストの向きは、動線方向に垂直となるよう設置されている。

そうなのだ。ポストの向きって、普通に考えるとほとんど一意に決まるのである。

さて、一般的なポストの向きについて理解が深まったところで、次は設置場所に応じたポストの向きを見てみよう。

● 歩道上にあって、車道側にあるポスト

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もちろん車道の方に投函口があるはずはないので、ポストは車道に背を向けて、歩道に向いて立っている。

● 歩道上にあって、建物側にあるポスト

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これも当たり前だけれど、建物の方に投函口があると歩行者にとって不便なので、ポストは建物に背を向けて、歩道に向いて立っている。

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また、歩道がなくて路側帯(もしくは直接建物)に設置されたポストは、必然的に建物に背を向けて、道路に向いて立っている。

● 広い空間に設置されたポスト

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これは大きな駅前なんかでよく見られるタイプで、ポストの周囲が空いているため、どの向きにも自由に設置できるポテンシャルを持っている。しかしこの場合も、通常は一番広くて人通りが多い歩道に向けて立っている。

と、ここまで観察してみると、「ポストの向き」について関心が沸いてきただろうか。

そうなると、次はいままで見てきたポストとは異なる向きのポストが気になってくるはずである。何事にも、「一般」があれば「例外」があるのだ。

● 壁を背にするポスト

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この2枚の写真は、どちらもこれまで見てきた「ポストの向き」の法則に反している。つまり、ポストが動線と並行の向きに設置されているのである。

写真奥の方から歩いてきた人は、ポストへ投函するために一度方向転換しなければならない。また、そこにポストがあること自体を見落とす可能性もあるだろう。これまでの典型的なポストの向きからすると、少しばかり不親切なポストであることは明らかだ。

しかし、この苦渋の配置(憶測)に至るまでには、きっと何かしらの理由があったに違いない。それに、「壁を背にしている」ところを見ると、その気持ちは分からなくもない。例えば駅で待ち合わせをするとき、コンコースのど真ん中に立っているより、柱に寄り添って立っていた方が安心するだろう、その原理である。

さて問題なのは、次のタイプのポストである。

● そっぽを向いたポスト

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ここまで読み進めた方は分かるであろう、このポストの向きの異質さが。動線の方を向いているわけでもなく、壁を背にしているわけでもなく、宙ぶらりん。一瞥しただけで、「ちょっと、あんたどこ向いてんの!」って叱ってあげたくなる。

これはまるで、人間にそっぽを向いて、ハガキの投函を拒んでいるかのようだ。なので、このタイプのポストを「そっぽポスト」と呼ぶことにした。

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ああ、ポストよ。どうしてそんな方を向いているのか。こっちの気も知らず、ポストは黙って明後日の方向を見続けている。我々人類がそうであるように、ポストにもいろんな気分のやつがいるのだと、「そっぽポスト」は気付かせてくれた。

ポストの向きを観察していると、思わぬポスト社会の闇に足を踏み入れそうになる。普通のポストの影に隠れて、ひっそり存在している「そっぽポスト」。もっとその存在に目を向けてあげるべきである。

シリーズ名の観察

私がまだ小学生だった頃、週刊ファミコン通信に連載されていた「ファミ通のアレ(仮題)」(作:竹熊健太郎、画:羽生生純)という漫画を毎週楽しみにしていた。そのなかでも、特に印象に残っていて20年ほど経った今でもよく思い出すのが、第56回 「続編」とは何か? という回である。

現在単行本は絶版になっていて薦めることは出来ないのだけれど、なんと最近になってデジタルリマスター版としてウェブで読めるようになったのである。うれしい。というわけで、その漫画がこちら。

 『ファミ通のアレ(仮題)』 第56回 「続編」とは何か?
 電脳MAVO ファミ通のアレ(仮題)デジタルリマスター

このなかで、当時小学生だった私が衝撃を受けたのが、映画「悪名」の命名則のくだりである。「悪名」は、続編のタイトルがこうなっているらしいのだ。

  • 悪名
  • 続悪名
  • 新悪名
  • 続新悪名

もう、これだけで心がしびれる。続編が「続」で、その続編が「新」で、そのまた続編が「続新」なのだ。

この、作中で言うところの「正しいシリーズタイトルの付け方」に感化されて、以来シリーズの命名則みたいなのが気になって仕方がない。iPad2 の次機種が、「iPad3」ではなく「新しいiPad」(New iPad)と発表されたとき、ひとり小躍りしていたのは言うまでもない。Appleの中の人もきっと、「ファミ通のアレ(仮題)」を読んだに違いないのである(憶測)。そしてその次のiPadは、「続・新しいiPad」(Sequel to New iPad)に違いないのである。

ちなみにこの悪名、5作目は「新・続新悪名」ではなく「第三の悪名」だということが紹介されているけれど、その後のシリーズ名も素敵である。Wikipediaの「悪名」の項によると、

  • 悪名
  • 続悪名
  • 新悪名
  • 続新悪名
  • 第三の悪名
  • 悪名市場
  • 悪名波止場
  • 悪名一番
  • 悪名太鼓
  • 悪名幟
  • 悪名無敵
  • 悪名桜
  • 悪名一代
  • 悪名十八番
  • 悪名一番勝負
  • 悪名縄張荒らし

悪名すごい! 実は「悪名」という映画を見たことはないのだけれど、もうタイトルを見ただけでしびれる。こんな素晴らしいシリーズ名は、他に類を見ないと思う。

ただし残念なのが、「悪名縄張荒らし」(しまあらし、と読むらしい)の次からである。2001年に、初代「悪名」がそのまんま「悪名」として再映画化されているらしいのだけど、その続編がなんと「悪名2」なのである。ツー! ナンバリングタイトルに落ちてしまった悪名に明日はあるのか。

そんな悪名の意思を継ぐ(と勝手に決めている)のが、「富江」シリーズである。あの伊藤潤二の「富江」であるが、これまでに8回映画化されているらしい。こちらもWikipediaの「富江」の項から引用すると、

  • 富江
  • 富江 replay
  • 富江 re-birth
  • 富江 最終章 -禁断の果実-
  • 富江 BEGINNING
  • 富江 REVENGE
  • 富江 vs 富江
  • 富江 アンリミテッド

富江すごい! 悪名と違って英語が混じっているところが現代的であるが、その根底に流れるシリーズ命名精神は共通していると言っていい。「悪名」と「富江」、どちらも漢字二文字で、その辺にもシンパシーを感じてしまう。何にせよ、今後の「富江」からは目が離せない。

さて、映画以外のシリーズ名にも目を向けてみる。

まず、花王が発売しているクレンザー、「ホーミング」。このシリーズは、以下のような名称になっている。

こちらは、「(無印)」「ニュー」「スーパー」という、王道的なシリーズ名になっており好感が持てる。ぜひ次は「ハイパーホーミング」を発売して欲しい。ちなみに、ホテルチェーンに「スーパーホテル」と「ハイパーホテル」があるが、これらはシリーズというわけではないようなので注意されたし。

そして最後に見ていくのが、「ユンケル」シリーズである。「ユンケル」に関しては、公式ページにそのシリーズラインナップが一覧で載っているのでありがたい。こちら

ユンケルは、これまで見てきたシリーズ名とは少し毛色が違うのだけれど、非常に高度な命名をしている。まずは、

これは、音引き(ー)によってラインナップを構築しているパターン。ほとんど同じ! ユンケルすごい!

そして、

これは、ハイフン(-)によってラインナップを構築しているパターン。ほとんど同じ! ユンケルすごい!

他にも、

ほとんどのシリーズが「ユンケル」と「黄帝」というパーツから構成されているのに、その「黄帝」があるか無いかでラインナップを構築してしまうパターン。

そして、ほとんどの名前が「ユンケル」と「黄帝」というパーツから構成されているのに、その「黄帝」と「ロイヤル」の並び順でラインナップを構築し、あまつさえそれに「2」などとナンバリングしてしまうパターン。

ユンケルすごい! ここまでくると、もはやユンケルの策(それが何の策かは分からないけれど)にまんまとはまっているのではないかと思えてくる。

かように、シリーズ名を見るだけで人(というか私)はここまで感動できるし、これからも美しいシリーズ名を集めていきたいと思っている。

「おいしい」ものが食べたい

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明治「おいしい牛乳」が好きでよく飲んでいる。「おいしい牛乳」と言えば、森永からも同じ名前の牛乳が出ており、何でわざわざ同じ名前にしたのか? と見る度に思うのだけれど……ひとまずその話は置いといて。

今回注目したいのは「おいしい」の部分である。

おいしいものが食べたいと思っている人は多いだろう。最近では、検索すればそういう情報は山のように出てくるけれど、逆にいっぱいありすぎて混乱してしまうほどである。何かおいしいものの指標はないのだろうか。

と、そこで登場するのが、商品名に「おいしい」という名前が付いている食べ物である。先の「おいしい牛乳」を見れば分かる通り、商品自ら「おいしい」と名乗っている。わざわざ探さなくても、「おいしい」って書いてあるんだから、おいしいのだ。これは分かりやすい!

じゃあ、「おいしい」って書いてある商品を集めてくれば、もうそれだけでおいしい食事になるのではないか。「おいしい」ものを使って、一食つくってみようと思う。

●主食

まいにちおいしい雑穀ごはん

おいしいって言ってるから、これはおいしいと思う。

すっごくおいしい食べるラー油

すっごくおいしいって言ってるので、すっごくおいしいと思う。おいしい雑穀ごはんと、すっごくおいしい食べるラー油の組み合わせは、確実においしいと思う。

●おかず

美味しい鯖

ひらがなで「おいしい」ではなく、漢字で「美味しい」って言ってるので、これは疑いようも無くおいしいと思う。

奥の細道 おいしいおそば

かけでおいしい めんつゆ

おいしいおそばに、おいしいめんつゆをかけると、おいしいの2乗くらいのおいしさだと思う。

一度は食べていただきたい おいしいさきいか

一度は食べていただきたいって言ってるし、しかもおいしいって言ってるから、紛れもなくおいしいと思う。

●デザート

おいしいプロテインゼリー

プロテインも入ってるし、おいしいと言っているので、栄養たっぷりのおいしいさだと思う。

●飲み物

六甲のおいしい水

おいしいって言ってるし、もはやおいしいの代名詞的な存在なので、相当おいしいと思う。

なんか微妙に貧相な食事に見えなくもないけれど、全部「おいしい」って自分で言ってる食品なので、その点は安心である。こんなに手軽においしいものばかり食べられるなんて、素敵な世の中になったものだ。

その他、気になるおいしいものを挙げておくので、おいしい食事のご参考にして頂ければと思う。さあ、みんなでおいしいものを食べよう!

おいしいお茶

おいしい炭酸水

白桃香るおいしい水

おいしい麦茶

おいしいミルク バニラ

おいしいラムネ

おいしいミルクセーキ

おいしいワイン

おいしいチューハイ(パインミックス)

おいしい無調整豆乳

おいしい青汁

おいしいだし

おいしい酢

おいしいシークヮーサー黒酢

おいしい米油

美味しいハンバーグソース

ナンともおいしいキーマカレー

おいしい備蓄食(レーズン)

おいしいクルトン

美味しいツナ

美味しい防災食 さば味噌煮

まるごとおいしい干し梅

とけやすくおいしい減塩みそ 赤だし

おいしい大麦若葉

存在しない2つの大学

2年前に作った同人誌 『日常⊇非日常』 を、ウェブ配布版として公開した。こちらのページからすぐ読めるので、まだの方はぜひどうぞ。

さて、その 『日常⊇非日常』 の中で私は、「大学名規模のヒエラルキ」を定義した。

これは単純に、大学名の規模の大きさだけで大学を分類する、というもので、例えば、“東京”大学や“京都”大学より、“東北”大学や“九州”大学の方が上位で、それよりさらに上位が“日本”大学、そのさらに上位が“亜細亜”大学……といった(特に意味の無い)分類である。

詳細はぜひ 『日常⊇非日常』 を見て頂きたいのだが、この分類をするにあたって全ての大学名を網羅的に調査した結果、あることに気が付いたので紹介したい。着目すべきは、「都道府県規模の大学名」である。

「都道府県規模の大学名」とは、以下の44個の大学名を指す。つまり、「都道府県名+大学」という命名則に従った大学名のことである。

青森大学、岩手大学、宮城大学、秋田大学、山形大学、福島大学、茨城大学、群馬大学、埼玉大学、千葉大学、東京大学、神奈川大学、新潟大学、富山大学、福井大学、山梨大学、長野大学、岐阜大学、静岡大学、愛知大学、三重大学、滋賀大学、京都大学、大阪大学、兵庫大学、奈良大学、和歌山大学、鳥取大学、島根大学、岡山大学、広島大学、山口大学、徳島大学、香川大学、愛媛大学、高知大学、福岡大学、佐賀大学、長崎大学、熊本大学、大分大学、宮崎大学、鹿児島大学、沖縄大学

(北海道大学が抜けているが、北海道は地域名でもあるため、さらに上位の「大地域規模の大学名」に属する)

これを見て何かに気付かないだろうか。と言っても真面目に見る人はいないだろうからヒントを出すと、上記の「都道府県規模の大学名」は44個しかないのである。北海道を足しても45個。ということは、47都道府県に対して、「都道府県規模の大学名」が2つ足りないのである。な、なんだって-!

つまり、47都道府県のうち、「都道府県名+大学」という名前の大学が存在しない県が2つあって、それが以下の2つなのだ。

  • 栃木大学
  • 石川大学

これに気付いただけでも大きな成果であるが、さらにこの「栃木大学」と「石川大学」を検索すると面白いことが起こる。以下のページがヒットするのである。

一見すると、「栃木大学」や「石川大学」が本当に存在しているようにも思えるが、少なくとも調べた限りではそんな大学は実在しないし、何より全く関連のなさそうな「栃木大学」と「石川大学」が、同じテンプレートで、しかも揃ってFC2にウェブページを置いているというのはおかしな話である。しかも「栃木大学」の写真は、一体なんだこれは。

従ってこれらのページは、「都道府県規模の大学名」から栃木と石川だけが漏れていることに気付いた誰かが設置したページだと推測できる。

「栃木大学」と「石川大学」のページを作った人は、きっと私と同じことを考えていたに違いないのである。